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【山形】羽黒山〜山伏の里〜

じめに.

今回は私の地元、山形県にある羽黒山の紹介をしたいと思います。

山形県の観光地の筆頭に挙げられる事も多い羽黒山は国宝 五重塔やミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで三ツ星に認定された杉並木など、多くの映画の撮影地にもなった美しくも幻想的な世界が広がっており、既にその存在はご存知の方もいらっしゃるかと思います。
その絶景だけでも観光地としての価値は十分にあるのですが、実はここ、修行場としての歴史が凄いんです!!
羽黒山の門前町にあたる手向(”とうげ”と呼びます)は日本一の山伏の里(山伏:山に伏して修行する者)と言っても過言ではなく、(実は私が高校時代におばあちゃんと暮らしていた場所でもあります(笑))、日本古来の宗教観や文化、歴史が今でも生活の中に引き継がれ、体験できる非常に珍しい場所なんです。
この記事を通して皆様に故郷のことを知っていただけ、いつかの観光候補地に加えていただくきっかけとなれたら幸いです!
 
雰囲気の参考までに動画もどうぞ‼︎

 

 

背景識について

羽黒山の事を紹介する上で、知っておいていただければより面白いゾって知識をまとめています。
知識とか歴史とか興味ない!って方は→「羽黒」の項までお飛ばし下さい!!

 
出羽三山
羽黒山は出羽三山の1つとして有名なのですが、
出羽三山とは、山形県(旧:出羽国)にある月山、羽黒山、湯殿山の三山のことを指します。
江戸時代には「西の伊勢参り、東の奥参り」という言葉(伊勢神宮を参拝したら東の奥(出羽三山)も参拝しなさいとするもので、太陽の神=天照大神がいる伊勢神宮を「陽」、その弟である月の神=月読命(ツクヨミノミコト)がいる出羽三山を「陰」と2つで1セットと考えられていた風習)の通り、日本中の参拝者で賑わっていたそうです。
それぞれの山は、
前世(往生を祈る山):月山
現世(の幸せを祈る山):羽黒山
来世(生まれ変わりを祈る山):湯殿山
を表し、この3山を巡ること=前世〜現世〜来世を巡る=「生きながらにして生まれ変われる巡礼の旅」と信じられていました。
菅笠と死者の衣装を意味する白装束をまとった参拝者は今でも見ることができ、
本格的な山伏体験をする事も可能です。(→詳しくは「手向」の項をご参照!)
出羽三山は修験道の場として有名で(江戸時代には熊野三山・英彦山に並び日本3大修験山とされていました)、現在でも毎年8月に「秋の峰」と呼ばれる1週間以上におよぶ山に籠る荒行が山伏(修験者)によって実施されます。
 
月山の紹介は以下↓どうぞ!
月山〜あの世の絶景を観に

(湯殿山は聖域にて撮影厳禁の場所ですので、ご紹介を断念しています。。空海ゆかりの凄い体験ができる場所ですので是非実際行ってみて下さい!)

 

出羽三山の起源
飛鳥時代の562年、崇峻天皇の第三皇子として誕生した蜂子皇子(はちこのおうじ)によって開山されたと言われています。
父である崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺されたため、馬子から逃れるべく蜂子皇子は聖徳太子によって匿われ船で京都から山形まで来ました。日本海を船で進んでいる途中、岩の上で八人の乙女が笛の音に合わせて舞っている姿を見て皇子は近くの海岸(現鶴岡市由良の八乙女浦)に上陸、海岸から3本足の烏に導かれて羽黒山に登り、そこで霊験を得て開山したという伝説が信じられています。
実は山形はあの聖徳太子が逃した皇子がその王国を築こうとした場所だったんですね。
日本の仏教の始まりが奈良で起こったのと時を同じくして、山形では蜂子皇子が修験道という山岳宗教を確立し、現生にまで至り定着させたのでした。
その後修験道の祖とも言われる役ノ行者や、最澄、空海なども来山し修行を積んだと言われています。
(実は湯殿山の大日坊は空海が日本で始めに作った密教寺との伝説もありここの縁も非常に面白いのですが、その話はまた)
 
修験道(しゅげんどう)

山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする、日本独特の宗教。
神仏習合の動きと、密教(天台宗・真言宗)で行われていた山中での修行、さらに日本古来の山岳信仰とが結びついて、この独自の信仰が成立していきました。

神道・仏教(密教)・アニミズム(自然崇高)が同居しており、いわゆる神仏習合の信仰であるため、日本の神と仏教の仏(如来・菩薩・明王)がともに祀られます。
日本各地の修験の山は天台宗と真言宗に大きく分かれていましたが、出羽三山は両者が混ざり合いながら独自に発展。
江戸幕府の後援を得る為、羽黒山は1641年に天台宗へ改宗しました。(その後月山も天台宗へ、湯殿山のみ真言宗を維持)
 
山岳信仰(さんがくしんこう)
古神道の自然崇拝の一種で、山を神聖化し崇拝の対象とする信仰のこと。
山岳地帯での生活においては、その山から流れる川、森林などに衣食住の全てが依存しており、そういった常に共にある山からの恩恵、またその雄大さや厳しい自然環境に圧倒される感情があり、これが山岳信仰の基になったとされています。
山には神や御霊が宿ると信じられており、神域・神界と呼ばれることもあります。
(→羽黒では門前町の入り口の大鳥居より奥は神界・霊界、大鳥居が世俗界との境界などとよく言われています。)
その後密教・道教の流れを汲んだ修道者や山伏たちが世俗との関わりを断ち、悟りを開くために山深くに入り修行を行ったことが修験道の成立に繋がります。
 
神仏習合(しんぶつしゅうごう)
神道と仏教が融合し、新たな信仰体系として再構成された宗教形態。
神社の境内に神宮寺が、寺院の境内に「鎮守」としての守護神の社がそれぞれ建てられ、神職、あるいは僧職が神前で読経を行うなどしました。
羽黒山は元々は神仏習合の形態で、仏教を中心とした山の経営がなされてきた場所でした。
江戸時代までは参道に寺院が点在していましたが、明治時代の神仏分離/廃仏毀釈(神道を推し進め仏教を排する運動)により山内の寺院や僧坊は追い出され、取り壊されました。(羽黒山寂光寺は廃寺に追い込まれ、出羽神社(いではじんじゃ)に強制的に改組されました)
元々山を納めてきたのも寺院、現在見られる羽黒山の形にまで整備したのも別当(山の最高位坊)天宥だったことからもこの事件がどれだけ当時衝撃的なものだったかは想像に難くありません。
(祓川のところにあった寺の住職は「孫子の代まで呪ってやる」と言って出ていったものだとも昔祖父が話してくれました…)
しかし現在でも、隋神門(旧仁王門)や五重塔、須賀の滝(旧不動の滝)等かろうじて残された仏教建築物や、修験道の作法に倣って行われる祭では当時の仏教の残香を感じる事ができます。
 
 

では、羽黒山に行ってみましょう!!

最寄りの鶴岡駅から車で30分、
突如大きな鳥居が山の手前にドーンと出てきます。

 

これを越えると神界、門前町の手向になります。

 

参道への入り口に佇むのが隋神門(仁王門)
聖域に邪悪なものが入るのを防ぐ御門の神を祀っています。
 
隋神門をくぐると直ぐに継子坂の下り道です。
入って直ぐに下るので不思議な感じがするかもしれません。空気もいきなり涼しくなります。
継子坂を下りきって振り返るとこんな感じ↓
 

山頂までは徒歩約90分、両側の樹齢350~500年の杉並木が特徴の1.7kmの参道は”産道”とも言われ、行者にとっては生まれ変わりの道です。
2009年にはこれら石段を囲む杉並木がミシュラン・グリーンガイド・ジャパンで三ツ星に認定されました。

 
継子坂を下りて、沢山ある末社を横切ると神橋が見えてきます。
 この下を流れる川は秡川(はらいがわ)と言い、昔は参拝者が山を登る前にここで身体を禊いだそうです。
 
この社の奥に須賀の滝が流れています。
 
石橋が架かっており社と滝のある対岸へ行けます。
昔はこの川辺に龍の寝床があったとか無かったとか・・・
 
そのまま進むと樹齢1000年と言われる爺杉があります。
(ついでに湯殿山には空海が投げた五鈷杵が引っかかったと言われる樹齢1800年の皇檀の杉がありますw)
 
爺杉から進んで直ぐ、国宝五重塔が見えてきます。

五重塔は明治の廃仏毀釈の際、取り壊されずに残された数少ない仏教式建築の1つです。(江戸時代、五重塔の周囲には多くの建造物があったらしいです、が今はありません)

平安時代、平将門の創設とされており、東北最古の塔です。
(現存のものは室町時代、1372年に大宝寺 政氏(だいほうじ まさうじ)により再建されています)

以前は塔内に聖観音、軍荼利明王、妙見菩薩を安置していたらしいですが、廃仏毀釈後は大国主命を祭神として祀っており、
塔ですが出羽三山神社の末社(主祭神以外の神を祀っている本殿以外の社=つまりこれも神社!)「千憑社(ちよりしゃ)」です。
 
五重塔を越えたらあとはひたすら山頂まで石段を登ります。
五重塔横から一ノ坂→二ノ坂→三ノ坂と心臓破りが3箇所あります笑
 
この杉並木や石段(2446段)は江戸時代初めに別当という修験の山の最高位坊だった天宥によってつくられました。
石段の中には天宥が刻んだと言われる絵(合計33箇所)が確認できるものもあります。
 
二ノ坂が見えてきました↓
この坂の途中に茶屋(山頂までで唯一)があり休憩できます。
 
二ノ坂を越え、その後歩いていると右側に本坊跡が出てきます。昔お寺のあった場所ですね。今は鳥居以外の建物は何もありません(ので写真割愛)。
(これより奥(三ノ坂の直前辺り)にも、南谷という場所の標識も出てきますが獣道を片道20分程歩いて空き地に行くというものなので、時間と心に余裕がかなりある長靴の方にしか勧めませんw)
 
 
三ノ坂
鶴岡の観光ポスター(山伏が石段を登る後ろ姿を写してるやつ)はここが撮影地かと思います。

 
尚、坂の傾斜は写真で見るよりもキツイのでナメた服装では行かない事をお勧め致します(笑)。
 
三ノ坂を越えた後、しばらく歩いて山頂へ到着。
山頂にはお社が沢山有りますが、一番目を引くのは出羽三山神社(三山合祭殿)。
月山・羽黒山・湯殿山の三神を合祭した大社殿で、屋根は厚さ2.1mの萱葺、内部は総漆塗でできています。

祈祷の際には巫女さんが踊っていたり、普段は見れないゴッツい豪華な内部での儀式(平安時代の貴族を彷彿とさせる感じです)も観れる事があります。
 
 

(山伏の里)

羽黒の門前町、手向。
「手向かい」と書いて「とうげ」と読ませるのですが、山に手を合わせる民の習慣からついた名前だと言われています。

この里の風景はタイムスリップしてしまったのかと錯覚するほど美しい、昔の日本を残しており(実際様々な映画の撮影地になっています)、歴史が生活の中に息づいているのが感じられると思います。

↓私のおばあちゃんの家周辺の写真を参考までにw

 

 

 


茅葺き屋根のお家が沢山あります。

 

 

冒頭でもご紹介通り、手向は山伏の里です。

山伏とは、修験道(山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする)を極める者の事で、手向では今でも山伏修行が体験できます。
一般人参加可能↓
秋の峰
http://www.dewasanzan.jp/publics/index/42/
神子修行
http://www.dewasanzan.jp/publics/index/43/
大聖坊
http://daishobo.jp

実際に私も大聖坊の星野先達にお世話になり山伏修行に参加してみましたが、俗世から離れての修行は登山はもちろん滝修行等、想像を絶する経験をさせていただけます。↓(※俗世離れなのでスッピンw もちろん携帯なんて弄れません)
 
昔は、春の峰・夏の峰・秋の峰・冬の峰がありましたが、現在は秋の峰・冬の峰のみ行われています。
秋の峰は峰入り(山に入り修行すること)と呼ばれ、一般の方々も参加することが出来る一週間の修行です。
山伏になる為の修行で、この峰入りを経て山伏になる、という考え方です。
一方冬の峰は9/24〜12/31の100日間、天下泰平・五穀豊穣を祈り続ける修行で、地元から毎年選ばれる最高位の山伏2名によって行われます。
 
修行は十界行と言われます。
地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界
この10の世界の修行を修験道では実践します。
例えば、羽黒で行われる地獄界の行は「南蛮燻し」と呼び、お堂の中で唐辛子やドクダミ、米ぬか等を炭火にくべて煙の燻責めを体験します。息もできない程の臭いや、目・喉・鼻の痛みの中勤行(読経)します。
 
羽黒山伏は昔から修行しつつ宿坊を営む半聖半俗です。
手向には山伏の家400軒中、現在宿坊もやっているのは30軒程で何百年も世襲で継がれてきました。
 
この様な背景があり、手向では宿坊街が発達してきました。
江戸時代には300を超す宿坊が営まれており、現在でも残存する30軒程の山伏が営む宿坊が残っており参拝者を迎えます。
(→羽黒観光の際には宿坊への宿泊がお勧めです! 建物も、めちゃくちゃ美味しい精進料理も、昔からの文化をそのまま体験できます!!)
 
宿坊でふるまわれる精進料理には地元で採れた山菜が豊富に使われ、旅人の身を清め、体調を整えます。それぞれの料理には「出羽の白山島(ごま豆腐)、月山の掛小屋(月山筍の油揚げ煮)、祓川のかけ橋(ふきの油煎り)」など三山の信仰にゆかりのある場所の名がつけられており、山伏が創作した食文化に触れることができます。精進料理の製法は、地元の食文化として発達し、今では家庭料理としても親しまれています。
 
 
また、手向を歩く時に注目してほしいのが、宿坊・民家の軒下に吊るされている「しめ縄」。
一瞬ビビりますよねw
私も小さい頃は髪の長い生首を吊っているのだと勘違いして怖がっていました(笑)
これは羽黒山の年越しの神事「松例祭の大松明行事」に使われた網を再利用したもので、魔除けとしてかけられています。
そこら中にぶら下がってますので、人々の暮らしと信仰の結び付きの一例を見ていただけるかと思います。
 
 

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