はじめに.
今回は私の地元、山形県にある羽黒山の紹介をしたいと思います。
背景知識について
羽黒山の事を紹介する上で、知っておいていただければより面白いゾって知識をまとめています。
知識とか歴史とか興味ない!って方は→「羽黒」の項までお飛ばし下さい!!
出羽三山
出羽三山とは、山形県(旧:出羽国)にある月山、羽黒山、湯殿山の三山のことを指します。
前世(往生を祈る山):月山
現世(の幸せを祈る山):羽黒山
来世(生まれ変わりを祈る山):湯殿山
を表し、この3山を巡ること=前世〜現世〜来世を巡る=「生きながらにして生まれ変われる巡礼の旅」と信じられていました。
本格的な山伏体験をする事も可能です。(→詳しくは「手向」の項をご参照!)
月山〜あの世の絶景を観に
(湯殿山は聖域にて撮影厳禁の場所ですので、ご紹介を断念しています。。空海ゆかりの凄い体験ができる場所ですので是非実際行ってみて下さい!)
出羽三山の起源
日本の仏教の始まりが奈良で起こったのと時を同じくして、山形では蜂子皇子が修験道という山岳宗教を確立し、現生にまで至り定着させたのでした。
(実は湯殿山の大日坊は空海が日本で始めに作った密教寺との伝説もありここの縁も非常に面白いのですが、その話はまた)
修験道(しゅげんどう)
山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする、日本独特の宗教。
神仏習合の動きと、密教(天台宗・真言宗)で行われていた山中での修行、さらに日本古来の山岳信仰とが結びついて、この独自の信仰が成立していきました。
江戸幕府の後援を得る為、羽黒山は1641年に天台宗へ改宗しました。(その後月山も天台宗へ、湯殿山のみ真言宗を維持)
山岳信仰(さんがくしんこう)
山岳地帯での生活においては、その山から流れる川、森林などに衣食住の全てが依存しており、そういった常に共にある山からの恩恵、またその雄大さや厳しい自然環境に圧倒される感情があり、これが山岳信仰の基になったとされています。
(→羽黒では門前町の入り口の大鳥居より奥は神界・霊界、大鳥居が世俗界との境界などとよく言われています。)

神仏習合(しんぶつしゅうごう)
神社の境内に神宮寺が、寺院の境内に「鎮守」としての守護神の社がそれぞれ建てられ、神職、あるいは僧職が神前で読経を行うなどしました。
江戸時代までは参道に寺院が点在していましたが、明治時代の神仏分離/廃仏毀釈(神道を推し進め仏教を排する運動)により山内の寺院や僧坊は追い出され、取り壊されました。(羽黒山寂光寺は廃寺に追い込まれ、出羽神社(いではじんじゃ)に強制的に改組されました)
(祓川のところにあった寺の住職は「孫子の代まで呪ってやる」と言って出ていったものだとも昔祖父が話してくれました…)
羽黒
では、羽黒山に行ってみましょう!!
最寄りの鶴岡駅から車で30分、
突如大きな鳥居が山の手前にドーンと出てきます。
これを越えると神界、門前町の手向になります。
聖域に邪悪なものが入るのを防ぐ御門の神を祀っています。

入って直ぐに下るので不思議な感じがするかもしれません。空気もいきなり涼しくなります。
継子坂を下りきって振り返るとこんな感じ↓

山頂までは徒歩約90分、両側の樹齢350~500年の杉並木が特徴の1.7kmの参道は”産道”とも言われ、行者にとっては生まれ変わりの道です。
2009年にはこれら石段を囲む杉並木がミシュラン・グリーンガイド・ジャパンで三ツ星に認定されました。




(ついでに湯殿山には空海が投げた五鈷杵が引っかかったと言われる樹齢1800年の皇檀の杉がありますw)


五重塔は明治の廃仏毀釈の際、取り壊されずに残された数少ない仏教式建築の1つです。(江戸時代、五重塔の周囲には多くの建造物があったらしいです、が今はありません)
平安時代、平将門の創設とされており、東北最古の塔です。
(現存のものは室町時代、1372年に大宝寺 政氏(だいほうじ まさうじ)により再建されています)
塔ですが出羽三山神社の末社(主祭神以外の神を祀っている本殿以外の社=つまりこれも神社!)「千憑社(ちよりしゃ)」です。
五重塔横から一ノ坂→二ノ坂→三ノ坂と心臓破りが3箇所あります笑

石段の中には天宥が刻んだと言われる絵(合計33箇所)が確認できるものもあります。
この坂の途中に茶屋(山頂までで唯一)があり休憩できます。

(これより奥(三ノ坂の直前辺り)にも、南谷という場所の標識も出てきますが獣道を片道20分程歩いて空き地に行くというものなので、時間と心に余裕がかなりある長靴の方にしか勧めませんw)


月山・羽黒山・湯殿山の三神を合祭した大社殿で、屋根は厚さ2.1mの萱葺、内部は総漆塗でできています。

手向(山伏の里)
羽黒の門前町、手向。
「手向かい」と書いて「とうげ」と読ませるのですが、山に手を合わせる民の習慣からついた名前だと言われています。
この里の風景はタイムスリップしてしまったのかと錯覚するほど美しい、昔の日本を残しており(実際様々な映画の撮影地になっています)、歴史が生活の中に息づいているのが感じられると思います。
↓私のおばあちゃんの家周辺の写真を参考までにw
茅葺き屋根のお家が沢山あります。
冒頭でもご紹介通り、手向は山伏の里です。
山伏とは、修験道(山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする)を極める者の事で、手向では今でも山伏修行が体験できます。
一般人参加可能↓
秋の峰
:http://www.dewasanzan.jp/publics/index/42/
神子修行
:http://www.dewasanzan.jp/publics/index/43/
大聖坊
:http://daishobo.jp

秋の峰は峰入り(山に入り修行すること)と呼ばれ、一般の方々も参加することが出来る一週間の修行です。
山伏になる為の修行で、この峰入りを経て山伏になる、という考え方です。
一方冬の峰は9/24〜12/31の100日間、天下泰平・五穀豊穣を祈り続ける修行で、地元から毎年選ばれる最高位の山伏2名によって行われます。
地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界
この10の世界の修行を修験道では実践します。
手向には山伏の家400軒中、現在宿坊もやっているのは30軒程で何百年も世襲で継がれてきました。
江戸時代には300を超す宿坊が営まれており、現在でも残存する30軒程の山伏が営む宿坊が残っており参拝者を迎えます。
(→羽黒観光の際には宿坊への宿泊がお勧めです! 建物も、めちゃくちゃ美味しい精進料理も、昔からの文化をそのまま体験できます!!)

私も小さい頃は髪の長い生首を吊っているのだと勘違いして怖がっていました(笑)
これは羽黒山の年越しの神事「松例祭の大松明行事」に使われた網を再利用したもので、魔除けとしてかけられています。
そこら中にぶら下がってますので、人々の暮らしと信仰の結び付きの一例を見ていただけるかと思います。